第13番 檜尾山 観心寺
宗派:高野山真言宗
本尊:如意輪観音像
開基:役小角
創立:大宝年中
住所:大阪府河内長野市寺元475
電話:0721-62-2134
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金剛山西麓に位置する観心寺は、深い森を背後にした壮大な寺である。金堂は室町時代初期に建立され、大阪府下最古の国宝建造物。本尊は国宝・如意輪観音菩薩像で平安時代初期の最高傑作、密教美術の傑作と評される。
金堂のそばの建掛塔(たてかけのとう)は、楠木正成が建武中興の無事を祈って三重塔を建立しようとしたが、湊川で討死したため完成されずに初層だけが残ったもの。とはいえ三間四方で茅葺き屋根の塔は実に端正である。恩賜講堂や鎮守堂、阿弥陀堂などの諸堂宇も点在し、寺格の高さがしのばれる。
そもそも観心寺の始まりは大宝元年(701)に役小角が修行の一道場として草創。大同3年(808)に弘法大師が訪れ、天の北斗七星を勧請し、再訪の弘仁6年(815)には本尊の如意輪観音像を刻んだと伝わる。本尊を中心として周囲に北斗七星の星塚を配置し、七星如意輪曼荼羅を構成しているが、星塚があるのは日本で観心寺だけである。
開創以来、天皇家との結びつきが強く、ことに南朝との関わりは深い。後醍醐天皇は、8歳から15歳まで観心寺の塔頭中院で仏道修行したという楠木正成を建武新政とともに奉行として金堂を再建。その皇子、後村上天皇は塔頭総持院を行在所(あんざいしょ)にしたほどである。
現在、木立の中に後村上天皇の御陵、その母新待賢門院の墓、楠木正成首塚がひっそりと立つ。